(# 1-.)
*
「こらっ! んにぃっ!」
俺の一喝に、少年はびくっと身を縮こまらせた。
ミョルニルのクソ山奥の洞穴。
住民登録だの税金だの土地制度だの建築許可だのなんだのかんだの、
いちいち細かい事で kinono、kinono と名前を何十枚もの紙に書かされて挙句、
その紙持ってあちゃらこちゃらうろうろするのが文明だと言うのならクソ喰らえ。
というわけで、高いだけが能の搭に隕石ブチかましてゲフェンを出てきてから、
空腹でふらふらになりつつ、フラフラしてたら見つけた洞穴。
適度なモイスチャーが気持ち良くて気に入って、今、ここに住みついてる。
このちびっこいのは、んにぃ。俺が名付けた。
初めて見たのが見世物小屋で、ぴょんぴょん跳ねて「んにんに」言ってたのが斬新だった。
こいつにうさ耳つけたら、さぞかしお似合いだろうなとか思ったら、急に欲しくなって無理矢理持ってきた子だ。
案の定、うさ耳つけさせてみたら、さらさらした金の栗毛に、良く似合う。
ルナ捌きまくって、毛を根こそぎムシりとりまくった甲斐があったと、心底思う。
最初は、「んにんに」ばかりで、まともに言葉も話せなかったが、今は不自由もない。
育てるからにはちゃんとしないと、俺の知性を疑われるから、仕方なく、いろいろ教えてやってる。
ぴょんぴょん跳ねて「んにんに」言ってりゃ、それで充分なんだけど、な。
で、だ。
まずは読み書きという事で、字を教えたところで、今は名前を教えてる。
しゃがみこんで木の枝で地面に文字を書いている姿は正直言って、かわいい。
ただ、何度書かせても名前の「ん」が左右逆になりやがる。
普通の「ん」はちゃんと書けるんだけどなぁ…。どうして、こんな事になるんだか。
とにもかくにも、何か腹が立って、つい怒鳴っちまう。
「こうだっつーの! こう!! どーして名前の時だけ、んが逆になるんだ! ちゃんと覚えろー!」
左手で、んにぃから木の枝取り上げて、地面の土に手本を書き殴る。
でもって、右手で後から頭を軽くこずく。
バランスを崩して、前のめりでずべーっと転ぶんにぃ。
「んぃ…」
「…なんだよ。今度ちゃんと書けねぇと、崖から投げ捨てるぞ、こらっ!」
もそもそ起き上がって、手本の隣に指で名前を書く、んにぃ。
また、んが左右逆だ。むかつく。
「んにぃっ、しっかりやれ! こりゃ、ちゃんと書けるまで、飯は抜きだなぁー」
「んー…」
「なんだよ。」
「んー。」
「言いたい事があるなら、ちゃんと言えよ!」
「ちゃんと…、やってるもん…」
「嘘ついてんじゃねーよ。ピシっとバッチリ書いてからちゃんとしてるって言えよ。」
「ぅぅ…」
サイトの炎に照らされて、両目に涙をためているのが見える。
それにもムカついて、キッっとんにぃを睨んだら、ビクっとしやがる。
おどおどしてる様子を見てると、余計に腹が立つ。
「とーにーかーく! ちゃんと練習しとけよ!! やる気無いなら出てけ、バーカ!」
「っ!」
一瞬、驚いたような表情をし、その顔が崩れ、俯く、んにぃ。
しばらく膝に顔を埋めていたが、ゆっくりと立ち上がると、肩を震わせながら真っ赤な目で俺を睨む。
「なんだよ!」
サイトの炎が、揺らぐ。
「あぅーーーーーーーーっ!」
そう叫びながら、それこそ脱兎のごとく、外に駆けだしていった。
どうせ、そのうち戻ってくるだろうから、放っておく事にした。
ここで甘やかしても、何にもならないしな。
一晩、飯抜いたって、死にゃしないだろう。
今日は月も出ているしな。
*
それから、三日、ヤツは戻ってこなかった。
俺も意地を張ってるわけじゃないが、平静を装っていた。
*
寝転ぶと、まんまるい月が、真上に見える。
もし俺が居なくなったら、あの月は支えを失って、この地に落ちてくるんだろうな。
と、つい思う。
そのまま、ぼーっと月を見てたら、ふと陰の部分が跳ねてるウサギに見えた。
「んにぃの奴、いつまでほっつき歩いてるんだか…。」
不安なんか無いが、振り払うかのごとく首を振る。
こんな時は寝るのが一番だ。寝返りをうって、目を閉じる。
*
…。
*
「こらっ! kinono っ!」
「また左を使って。汚いなぁ、もう。」
「左を使うな、左を!」
字を、右で書こうが、左で書こうが、どっちでもいいじゃないか。
俺の勝手じゃないか。
それに、俺は、今までずっと左でやってきたんだ。
お前の好き嫌いで今更変えろとか言うな。
そう言いたかったが、声にならなかった。声にならなかったから、下らない大人達を、キッっと睨んだ。
睨むものの、相手の顔がぼやっとして、よくわからない。
ってか、俺は誰に怒られてるんだ??
ああ、そうか。寝てたんだっけな、俺。
夢だと気付いて、自分の手を見る。
子供の頃の、んにぃみたいな小さな手。
そうだよな。
名前の「ん」が左右逆なのが、あいつの勝手なんだろうな。
普通の「ん」の字はちゃんと書けるんだし、
それを無理に直すのは俺の好き嫌い、だな。
俺も下らない大人になっちまったもんだ…。
…。
…。
…。
あいつ、大丈夫、か?
*
跳ね起きると、まんまるい月が、まだ真上に見える。
木枝がざわざわと騒ぎ、雲が月を隠す。
死んでるんじゃなかろうか、と真っ黒な予感が頭をよぎる。
俺とは違い、あいつはまだ "yggdrasill" との契約を済ませていない。
死んだら、復活はできない。
それっきり、だ。
俺は居ても立ってもいられず、三日前、んにぃが消えていった森に、踏み込んで行った。
*
「まったく、どこいったんだか…。」
真っ暗な森の中。
ふと立ち止まって、呼吸を整える。
んにぃを捜すので夢中で気付かなかった気配を感じる。
「ギオペ様は、森を守っています、ってか。」
数は六。俺を狙ってるわけではなさそうだ。
どうやら、他の何かを追いかけている。
この様子じゃ、バカが、電車ごっこ、か。
放っておくか、と思って、その場を離れようとしたとき、気配の方から、知ってる声を聞いた気がした。
「ん、んに…」
この声。確かに、んにぃの声だ。
巨大な赤芋蟲から逃げまどっているうちに、集めちまったんだろうな。
ぴょんぴょん跳ねて「んにんに」言いながら逃げてるのかと思うと、ちょっと可笑しかった。
っと、笑ってる場合じゃない、早く行かないと、あいつ…
死ぬ。
気配の方に向かって駆け出す。
ちょっと開けた広場にでて、六匹の赤芋蟲から逃げ惑うんにぃの姿が見えた。
岩壁に追いつめられている。
どうしようもなく、岩壁を背に、ちぢこまるんにぃ。
赤芋蟲が巨大な身を捻り体躯を起こす。
一瞬の静止。
刹那、んにぃのちっこい体に、重量以上に森を護る意思をぶつけるかの如く、のしかかろうとする。
やばい!
「はぅーーーーーーっ!」
「ファイヤウォール!!」
火の壁に身を焼かれる赤芋蟲。焦げた臭気が、あたりに充満する。
俺に気付く六匹の赤芋蟲ども。
若干の間。
空は、雲が一点を軸に押しのけられ、晴れる。
まんまるい月は、もう無かった。
代わりに、真っ赤に燃える光球。
「メテオストーム!」
*
異界からの隕石は、その重量と速度で赤芋蟲どもを押しつぶし、骸を劫火で焼きつくした。
六匹の赤芋蟲は、ただの黒い炭となった。
*
岩壁の方を見ると、んにぃは、身を縮こまらせて、地面に伏せていた。
俺は、つかつかと歩み寄る。
「んにぃ。」
びくっと、さらに身を縮こまらせる。
思わず「俺は、赤芋蟲かよ」と小突きそうになったが、それよりしなくちゃいけない事がある。
「…ごめん。」
「うわーーーーーーーん!」
泣きながら駆け寄ってくるんにぃを、俺はぎゅっと抱きしめた。
(# 1-, Fin.)